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ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1882-1951) : ウィキペディア日本語版 | ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1882-1951)
ヴィルヘルム・フォン・プロイセン(, 1882年5月6日 - 1951年7月20日)は、プロイセン王国の王族・軍人。全名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトール・アウグスト・エルンスト()。ドイツ皇帝兼プロイセン王ヴィルヘルム2世の長男で、最後のドイツ皇太子・プロイセン王太子。 == 来歴 ==
=== 出生 ===
ヴィルヘルムは1882年5月6日、ヴィルヘルム2世(当時皇長孫)とその妃であったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世の娘アウグステ・ヴィクトリアの間に第1子としてポツダムので生まれた。誕生時、ヴィルヘルムは祖父(フリードリヒ3世)、父(ヴィルヘルム2世)に次ぐ皇位継承第3位の立場を得た。ヴィルヘルム2世は母ヴィクトリアと険悪な関係だったため、ヴィルヘルムの養育については叔母ヘレナに意見を求めた。こうした息子の態度を見たヴィクトリアは、彼の祖母であるヴィクトリア女王の心証を傷付ける行為だと非難した〔Queen Victoria's Family, A Century of Photographs, Charlotte Zeepvat〕。 1888年、曽祖父ヴィルヘルム1世及び皇位を継いだ祖父フリードリヒ3世が相次いで死去し、父ヴィルヘルム2世が即位したことに伴い皇太子となった。学生時代をボン大学で過ごし、在学中は父と同様に学生組合のメンバーだった。1905年6月6日にメクレンブルク=シュヴェリーン大公女ツェツィーリエと結婚した。ヴィルヘルムは普及し始めたサッカーに興味を持ち、1908年にドイツサッカー連盟にカップを寄付している〔"Kick it like Kronprinz" Spiegel Online. Retrieved 11 June 2009〕。1914年、ヴィルヘルム2世は息子家族のためにツェツィーリエンホーフ宮殿の建設を命じている。宮殿は1917年に完成し、ヴィルヘルムの暮らしの拠点となった。
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